1週間延期されていたこブン研究会(正式名称:こねことブンチョウ研究会)。
本日は佐藤千尋さん(私のマスター時代の研究室の後輩に当たる。
一度だけだがお目にかかったことがある)の「ペットの死後に見えてくるもの 現代日本におけるペット供養」の報告。
こブン研究会(正式名称:こねことブンチョウ研究会)としては初の報告だ。
本当は私の後に先輩の報告も予定していたのだが
「ペット」として位置づけられている動物、
つまり「愛玩用」として使役される動物の死の処理についての議論から始まって
人間が動物と関係を構築することについての議論、
動物のシンボリックなはたらきについての議論と
延々と話が広がっていたせいで
結局、私の報告だけで2時間が経過してしまったあたり。
次回は17日の金曜日。
それにしても人間対動物の関係とは難しいものだ。
そしてそれ以上に動物をめぐる人間対人間の関係は難しいものだ。
幸か不幸か、私は生き物は一般的に好きであるし
興味もあるので
動物を飼育することそのものにも動物を飼育している人に対しても
抵抗や反感は全くない。むしろその反対だ。
そして同様に、動物が嫌いであったり苦手であったり
動物を飼育することが嫌いな人に対しても別段の抵抗も反感も無い。
動物一般が好きな人間としては、動物が嫌いな人とは
楽しみの一つを共有できないということになる訳なので
その点においてなんとなく残念な気はしないではない。
しかしそんな私も総ての動物が万遍なく好きな訳ではない。
(愛玩動物として絶大な人気を誇るであろう「犬」は私は苦手…
有り体に言えば嫌いである)
そもそも好みのものとそうでないものがあるのはむしろ当然のことである。
世の中にリンゴが好きな人もいればリンゴが嫌いな人もいるのと同じことだ。
しかし、必ずしもそのように感じる人間が多数派という訳でもないようであり
大変に大雑把な印象論に過ぎないのだが
動物が好きな人=いい人、人間味のある人、愛情豊かな人
動物が嫌いな人=ひどい人、人間性に問題がある人、愛情に飢えたかわいそう(嘲笑)な人
といったような了解が世間的に何となく成り立っているような印象がある。
これが「動物にも人間に対するのと同様、愛情を持って接する人」対
「動物を虐待する人」に対しての評価ということならば
妥当な了解ということはできよう。
しかし先述の「動物好き=良い人」的了解は
単純に「好きか嫌いか」の好みの問題に過ぎないことが
いい悪いの価値判断に直結してしまっているような印象があり
どうも危うさを感じるのだが…。
多分、(今日も議論になったところなのだが)
現代社会に流布する「ペットは家族の一員」言説が
こういった価値判断的なムードの背景にあるのだろう。
動物が好き・動物を飼育することが好きな場合・好きな人にとってのこの雰囲気は
一応のところ(あくまでも「一応のところ」だが)順境ということができるだろう。
しかし問題は動物が好きではない場合だ。
「私は動物が嫌いです」と公言したところ、単に自分の好みを表現したに過ぎないことから
痛くもない腹を探られるようなことにもなりかねない。
研究会が終わった後、ふと思い立ってWebで色々と調べていた時
偶然、「パートナーは動物が大好きなのだが自分は動物が嫌い、今後どう付き合えば良いだろうか」
「自分は動物が好きなのだがパートナーは動物が嫌い、今後どう付き合えば良いだろうか」
という趣旨のWeb質問と、それに対する回答をいくつか見つけた。
そしてその回答の大部分が、端的に言えば
「自分が動物を好きになれば・相手を動物好きにさせれば一件落着」「こうすれば動物が好きになれる」という文脈でもって記述されていた。
質問の趣旨が「嫌いな動物を何とかして好きになりたい」
「どうすれば動物嫌いを動物好きにさせることができるだろうか」というものならまだしも
これでは「物事の優先順位が自分とは決定的に違う相手と
どのようにして関係を構築すれば良いか」という趣旨の質問の回答としては
何も言っていないに等しい。
…そのうちこのことも研究会で採り上げてみよう。


1974年5月17日生まれ。05年9月東北大学大学院情報科学研究科博士課程後期修了。博士(情報科学)。東北大学文学部阿部次郎記念館・宮城工業高等専門学校・福島学院大学などなどで非常勤講師などなど。試みに漢字で書いてみると高橋嘉代。